不登校、人間関係。想像力と、これから。

不登校になると、当たり前ですが、学校の友達と連絡が取りにくくなります。


不登校になった原因が人間関係でなくとも、引け目を感じてしまうのです。

みんなは学校に行っているのに、頑張っているのに、自分は...と。


不登校で苦しんでいる誰かがこの記事を見ているのなら、貴方はとても頑張っている。何も引け目を感じることなんて無いんだよ、と、伝えたいです。 



不登校の人が周りに居たらどうすれば良いのか。

言ってはいけない言葉は沢山あります。

想像力が大事です。





例えば、修学旅行だけ行きたいと思って行くこと。これはとても素晴らしいことです。修学旅行に行きたいって思えるその気持ちを大事にして欲しいと思います。


その時に、周りは、"普段サボってるのに楽しい時だけ来てズルい"なんて言ってはいけません。当たり前です。

でもこの当たり前に気付かない人も多いのです。特に小中学生。


サボっている訳じゃ無いんだから、悪いことなんて何もしていないのだから、というか、そんなことを言う人に迷惑なんてかけていないんだから引け目を感じる必要は無いんです。


心無い言葉を言う人がいたら、子どもだなと思って流しましょう。


残念ながら世の中には想像力が無い人がいます。でもそれは、私たちにも当てはまっているかもしれません。

分からないものは想像できないのです。不登校を悪く言うのは、本当に分からないからサボっていると思ってしまうのです。

 



勿論そう言う人ばかりではありません。

不登校の貴方と、話したいな、会いたいな、と思っている人だっていると思います。



分かってもらえそうな人に話し掛けられたら、その関係は切らないで置きましょう。

苦しいなら話は別ですが、貴方が前に進むキッカケになるもしれないのです。


悪いことじゃ無いんです。不登校は悪いことじゃない。

だから、貴方は楽しんだって笑ったって良いんです。友達と会って遊んだって良いんです。




自分はどういう世界なら生きやすいのか、この先どうしていきたいのか、考える余裕があったら整理してみましょう。


ずっとスマホ、ずっとゲーム。それもそういう時にしかできないから一生分やると言う手もあるかもしれません。


でも、脳がまだまだ成長する時期にすることってそれで良いのかな、と少し考えてみる必要はあると思います。


皆さんが前に進んでいけますように。





学校は何もしてくれないのか。

私は、パニック障害だったこともあり、式典や自由にできない(逃げられない環境)ところがとても苦手でした。


担任にその旨を相談したところ、色々そういうところは対処してくれました。

教室は入り口近くにしてくれたり、式典でも後ろの席にしてくれたり、と。


保健室で度々休んだりしていたこともありましたが、担任が顔を見にきてくれて、色々私に話し掛けてくれました。(申し訳ないのですが、内容はあまり覚えていません。)


ただ、一つ覚えていることがあって、

「ハルは人が怖い訳じゃない。これは良かった。」

と担任は私に言いました。

何故かはよく分かりませんが、私はずっと今でもその言葉が心に引っかかっています。


私がもしも対人恐怖が強かったら、何て言葉を掛けるのかな、そんなことを思ったりもしたからかもしれません。


私は担任と合わないなと感じていてあまり信用していなかったので、相談できませんでした。

というか、私は人に頼ってきたことが今まで殆ど無かった気がするのです。


中学までだって、"先生"という存在が嫌いで、勉強で質問をしたことは一度も無いし、悩みを相談したこともありませんでした。


そんな私の性格もあって、不登校になってからも誰にも上手く自分の気持ちを伝えられず、自分ばかり責め続け、通信制の高校に転入するのも結構急に決めた、みたいな印象を学校には持たれていたみたいでした。


教師という仕事は忙しいし、教師だって人間だし、上手く対応してくれる人もいれば、そうでない人も居ると思います。





私が不登校になった高校に、5年後、弟が通うようになりました。

私は自分で言うのも本当アレなのですが、中学まで優秀だったので、中学の先生が色々高校に言ったりしているところもあったみたいで。

(勿論、私だけではなく、優秀だった人が高校で不登校になるケースが結構多かったせいらしいのですが)


弟が通う頃には、赤点2つ取ったら留年とか堂々と言われたり、点数上位のメンバーを張り出したり、課題をやってこないとブラックリスト載りで人権が無くなるみたいなことは減ったらしいです。スマホを取り上げられることも無くなったようです。


まあそれでも、弟の学年でも不登校の人は結構いたみたいで、どういう対応をしていたのかは正直分かりません。


具体的にこうして欲しい、と言えて、具体的に問題点が見えれば不登校は解決するかもしれません。

しかし、抱えている問題は複合的に絡み合っているケースが多いので、学校も対応に悩むことが多いのだろうと思います。


私は今だから言えますが、わがままでもなんでも良いから言ってみたもん勝ちだと思います。

ドラマで逃げるは恥だが役に立つというものが流行りましたが、その通りだと思うのです。


賢く生きていきましょう。

不登校、世間体。

不登校になってから、世間体をより気にするようになりました。


私も周りの目が怖かったのですが、私の母は特に周りに何と言ったら良いか分からず、私が大学に入ってからも気にしていました。

母が気にしているのを見るととてもショックが大きかったです。そんなに私って、ダメなことをしているのだろうか、ダメな子どもなのだろうか、と。


私は世間体を気にすると同時に、私は本当に悪いことをしたの?こんなに沢山苦しんでいるのに?もう一生分泣いたんじゃないかと思うくらい辛いのに?どうして周りの目を気にしなきゃ行けないの?とも思っていました。





大学に入ってから、高校(全日制の進学校の方)の時の同級生と会うことがありました。

その後どうしてたの?とフランクに聞かれたので、私は正直に通信制の高校に通ったと伝えると、「そうなんだ」くらいの反応で会話は終わりました。

その子は、私を特別可哀想な目で見たりすることもなく普通に接してくれました。


大学で出会った先生は、勿論色々な方がいらっしゃいましたが、そのままの私を見て下さる方が多く、私はそれで凄く救われました。


良い先生だなと思える人に出会えたのは生まれて初めての出来事でした。私ももう年齢的には大人ですが、信じても良い大人も居るんだなってそこで初めて知ったのです。


大学生活を送るうちに、世間体とかどうでも良いなと思い始めました。


通信制高校に通っていた頃は、進学校で落ちこぼれたんだろうとか周りに思われるんだろうなぁとか色々思っていましたが、堂々としていようと思えるようになったのです。


周りの噂とかどうでも良い。だって、私だってなりたくて不登校になった訳じゃないし。勉強についていけなくて辞めた訳じゃないし。メンタルが弱いとか言われたって、中学までいっぱい人前に出て色んな責任感のある仕事とかもやってきたし。普通の人より勉強も部活も頑張ってきたし。学級委員も学年委員もやったし。学年のピアノ伴奏も何回もやったし。

こんな風に思えるくらいにはなりました。


大学に通えた、良い大人に出会えた、時間が解決してくれた、この3つが世間体を気にしなくなった(全くでは無いけど)要因かなと私は思っています。


不登校だけでも辛いのに、世間体なんて気にしてたら余計に病んじゃいますよね。気になるものは仕方ないけれど、きっといつか解決してくれる時がくると私は思います。


"置かれた場所で咲きなさい"

私はずっとこの言葉のまま生きるのは難しいですが、大学の時はこの言葉を大事にして自分に言い聞かせてやってきました。

やれることを一つ一つって、簡単じゃないこと、私は今までの経験からとても分かります。でも、やっぱり辛いけれども、やってみなきゃ変わらないのです。

無理矢理前を向く必要はありませんが、やれることを少しずつやって、少しでも前に進んでいきたいものです。

私は結局不登校を乗り越えたの?

今回のテーマは、私自身が不登校を乗り越えたかどうか、という話です。


"不登校を乗り越えた"という定義付けをどうするかにもよるのですが、

不登校になった時に通っていた学校に再び登校できるようになったこと」

このように定義付けすると、私はの答えはシンプルにNo.です。


もうこの場所ではやっていけないと思って、通信制高校に転入したので、乗り越えた訳では無かったと思います。


通信制の高校は少し遠かったので、物理的になかなか登校するのも大変なこともあり、通っても週1、2くらいだったと思います。

通信制では毎日登校するのが嫌という訳ではなく、"毎日来なくたって良い"ので私は毎日は行きませんでした。


でも大学はちゃんと通えたので、私は学校自体が嫌な訳ではなかったんだとそこで再確認できました。


不登校になってしまったとしても、道は沢山あります。

不登校になった人は引きこもったり病んだりと、なかなか正常な精神状態では無いと思うのですが、自分から道を塞がないように生きて行って欲しいです。


読んでいただきありがとうございました。

スクールカウンセラー

スクールカウンセラーに話を聴いて貰ったことがある人はどのくらい居るのでしょうか。


私は高校生の時に保健室の先生に受けてみたら?と言われて、一回だけカウンセリングを受けたことがあります。


私は正直、これで何が解決するの?何か変わるの?って思っていました。

特別何かを得られた気もせず、その一回が終わりました。


もちろんカウンセラーさんも色んな人が居て、人間なので合う合わないもあると思います。

私は多分疑っていたこと、カウンセリングに意味を見出そうとしていなかったことで、何も得られなかったと感じたのだと思います。


大学生になって、学校の臨床心理士さんや、病院のカウンセラーさんに話を聴いて貰うようになりましたが、カウンセリングはきちんと意味があるな、と私は感じました。


でも一つだけ思うこともあって。

今の自分の性格は昔からの積み重ねで出来ていますが、カウンセリングを受けると、昔のこういう出来事が潜在意識にあるんだろうね、とかそういう話にもなったことがあります。


原因が分かってスッキリする人、それで解決する人も居るらしいのですが、私は昔には戻れないし今私は結局何をどうしたら良いのだろうと思ったりもします。



まあ、結果的に解決できるかは分からなくても、正直やってみるしかないし、色々試すためにもカウンセリングは受けてみるのは良いと思います。

(カウンセリングにはきちんと意味があって、きちんと技術も技法もあるので。)


ということで、今回はカウンセリングのお話でした。

不登校と登校拒否

今回は、「不登校」と「登校拒否」という呼び方のお話です。

皆さんは、不登校と登校拒否の違いってご存知でしょうか。

ネットで調べると色々なサイトが色々なことを言っていますので、混乱する所もあると思います。

日本では最初は「登校拒否」という言葉が多く使われていましたが、本人は登校したくても出来ない状態にいる訳で、登校を"拒否"しているという認識だとズレが生じるというようなことから、「不登校」と呼ばれることが増えてきました。

つまりは、本当に"登校拒否"と"不登校"は呼び方の違いだけで、その人の状態で登校拒否なのか、不登校なのか、等とふるいわけをしている訳ではないのです。

不登校で悩んでいる人、悩んでいるご家族は、こんな呼び方で悩むことは無いと思いますが、一応触れておきたかったので書いてみました。

私も不登校の頃はそんな呼び方なんて考えたことも無かったのですが、時間が経ってみると、まあ確かに、「登校を拒否」していた訳ではないので、あの頃の自分が「登校拒否」と言われると、少し違和感が残るかなあともちょっと思ったりもしました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


不登校と心の病気

今回は、タイトルの通り、不登校と心の病気の関連について話していきたいと思います。

実際私は、心の病気を患いました。

順番としては、先に心の病気(パニック障害)になり、色々なことが重なって不登校になりました。

学校で嫌なことがあったから、パニック障害になった訳ではなかったのですが、パニック障害になってからは、学校でも体調を崩すことが多く、精神的に疲れることが多かったです。

不登校の人は、学校に行こうとすると体調が悪くなったりする人も居るのではないでしょうか。そういった心身症は、心のSOSを心だけでは処理できずに身体の症状に出しているのです。

また、起立性調節障害という病気で、なかなか学校に通うのが難しい方も居ると思います。
私はこの病気になったことがないので、その本当の辛さは分からないのですが、「サボっている」「午後は元気そうじゃん」と見られてしまうのが辛いところなのだと想像します。
もっともっと理解が広がると良いのですが...





不登校と心の問題は深く関係していると思います。
身体の症状に出ているのは、心がSOSを出しているということ。
身体の症状に振り回され過ぎず、根本的な問題は何なのか、ゆっくり考える時間が必要だと思います。

読んで頂き、ありがとうございました。