不登校、世間体。

不登校になってから、世間体をより気にするようになりました。


私も周りの目が怖かったのですが、私の母は特に周りに何と言ったら良いか分からず、私が大学に入ってからも気にしていました。

母が気にしているのを見るととてもショックが大きかったです。そんなに私って、ダメなことをしているのだろうか、ダメな子どもなのだろうか、と。


私は世間体を気にすると同時に、私は本当に悪いことをしたの?こんなに沢山苦しんでいるのに?もう一生分泣いたんじゃないかと思うくらい辛いのに?どうして周りの目を気にしなきゃ行けないの?とも思っていました。





大学に入ってから、高校(全日制の進学校の方)の時の同級生と会うことがありました。

その後どうしてたの?とフランクに聞かれたので、私は正直に通信制の高校に通ったと伝えると、「そうなんだ」くらいの反応で会話は終わりました。

その子は、私を特別可哀想な目で見たりすることもなく普通に接してくれました。


大学で出会った先生は、勿論色々な方がいらっしゃいましたが、そのままの私を見て下さる方が多く、私はそれで凄く救われました。


良い先生だなと思える人に出会えたのは生まれて初めての出来事でした。私ももう年齢的には大人ですが、信じても良い大人も居るんだなってそこで初めて知ったのです。


大学生活を送るうちに、世間体とかどうでも良いなと思い始めました。


通信制高校に通っていた頃は、進学校で落ちこぼれたんだろうとか周りに思われるんだろうなぁとか色々思っていましたが、堂々としていようと思えるようになったのです。


周りの噂とかどうでも良い。だって、私だってなりたくて不登校になった訳じゃないし。勉強についていけなくて辞めた訳じゃないし。メンタルが弱いとか言われたって、中学までいっぱい人前に出て色んな責任感のある仕事とかもやってきたし。普通の人より勉強も部活も頑張ってきたし。学級委員も学年委員もやったし。学年のピアノ伴奏も何回もやったし。

こんな風に思えるくらいにはなりました。


大学に通えた、良い大人に出会えた、時間が解決してくれた、この3つが世間体を気にしなくなった(全くでは無いけど)要因かなと私は思っています。


不登校だけでも辛いのに、世間体なんて気にしてたら余計に病んじゃいますよね。気になるものは仕方ないけれど、きっといつか解決してくれる時がくると私は思います。


"置かれた場所で咲きなさい"

私はずっとこの言葉のまま生きるのは難しいですが、大学の時はこの言葉を大事にして自分に言い聞かせてやってきました。

やれることを一つ一つって、簡単じゃないこと、私は今までの経験からとても分かります。でも、やっぱり辛いけれども、やってみなきゃ変わらないのです。

無理矢理前を向く必要はありませんが、やれることを少しずつやって、少しでも前に進んでいきたいものです。